人と関わりたくないのも、死にたいのも、ただ「疲れていた」だけだった

※知り合いが誰も見てない前提で書く

中学時代〜大学4年生まで、基本的に人と関わりたくないし、なんとなく常に憂鬱だし、いつか自殺して人生を終えるんだと思い込んでいた。

人と関わるのが結構苦痛だった。

感覚過敏で刺激に敏感なせいもあるし、なんかみんな幸せそうだし、お金があって羨ましいし、考え方が違うから説明するのが面倒だし、全部面倒くさい。だるい。なんかイラつく。

人との関わりが増えれば増えるほど、面倒なことが増えると思ってた。

人と関われば関わるほど、疲弊すると思ってた。

実際そうだったし。

何かに挑戦すればするほど、疲弊が蓄積されるだけだった。

 

常に憂鬱だった。

中学生以降、スッキリ起きれたためしが無い。

いつも朝が憂鬱。

バイトや学校の日はもちろん憂鬱だし、

せっかく人と遊ぶ予定がある日も、その日になれば余裕で憂鬱。

約束した過去の自分を恨んだ。

 

やたら元気な日が数日続いた後、

やたら憂鬱な日が続くのがいつものこと。

元気な時にした遊びの約束をこなすのは、

やたら憂鬱な時の自分。

 

だからだいたいいつも、憂鬱だった。

 

中2くらいで自殺というものが頭の中をちらつき始めてからずっと

自分は10代のうちに自殺という死に方をするものだと思っていた。

その気持ちを抱えたまま20代になり

それでもやっぱり「27~8歳くらいの自分」を想像することはできなくて

いずれは自殺する人間だと思っていた。

悲しいわけでもなく、当たり前のように。

自分が死んだ時の、家族や友達の気持ちを想像すると

なんか申し訳ないとは思うものの

「だから死なない」とはならなかった。

 

自殺願望の強い男の子と仲良くしてる時は

どこでどうやって一緒に死のうか、お話ししていた。

オーストラリアの綺麗な海がいいね、とか話していた。

二人とも、オーストラリアに行ったことなんて無いのに。

綺麗な死、理想の死を一緒に目指している時間は、心が安らぐ瞬間だった。

 

なんだか無限に生きづらくて

そう言えば幼稚園の頃から生きづらくて

みんなの輪に入っているけど

全てを俯瞰で見ている気持ちがしてた。

無限に生きづらかった。

とても狭い「地元」で暮らしていたせいもあるだろう。

でも、大学で千葉に引っ越してからも、まだ生きづらかった。

 

中学時代は精神医学の本を読むのが好きで

自分は境界性パーソナリティ障害なんだろうとか

躁鬱病なんだろうとか

勝手に決めつけて

生きづらい心をどうにかやり過ごしていた。

 

保健室の先生に「カウンセリング」を勧められた時は

「あー、私は頭が狂ってると思われてるんだ」とムカついた。

精神科のおじいちゃん先生に対して愛想笑いした時は

「うつ病の人はあなたみたいにニコニコできないですよ」と言われて

ムカついた。

大人への小さいムカつきって、子供にとっては結構な絶望だったね。

 

大学に入ってからは

カウンセリングや診察を受けて「発達障害の傾向が強い」と言われていた。

希望する進路(教員)のことも考えて確定診断はしなかったけど、

なんだか「発達障害」の答えに納得感があった。

生きづらさの原因はコイツだったか、と思った。

 

とにかく生きづらかった気がする、ずっと。

生きるのが平気な瞬間は

同じように生きづらい男の子と

仲良くしてる時くらい。

「生きづらいね、死にたいね」って言い合ってる時が一番癒されていた。

それ以外は生きづらい気分がずっと続いていた。

 

でも最近は思う。生きづらかったのは、ただ疲れてただけなんじゃないか。

思えばずっと、5~6時間しか眠ってなかったし

勉強しなきゃいけないことがたくさんあったし

ずっとお金がなかったし

なんだか難しい男の子の世話とか自殺の静止とかをしてたし

合わないバイトばかりしていたし

10年くらいずっと、疲れてた気がする。

 

フリーランスというよく分からない働き方を選んで

好きなだけ寝て

好きなだけ食べて

好きな人とだけ関わって

難しい男の子と関わるのはやめて

面倒な仕事はすぐに排除して

のんびりテレビとか観てたら、自殺願望とかどっか行った。

 

生きやすさには、旦那の協力など色々あると思う。

にしても、基本は「疲れがとれた」だけな気がする。

 

長い間疲れてると、死にたくなるみたいだ。

知らんけど。

疲れがとれるだけで、死にたさが消えるんだ。画期的だね。

 

あんだけかたくなに

「人と関わりたくない」「人と関わらない仕事しか無理」と思ってたけど

静かに自分のペースで暮らしてたら

人と関わるのが全然平気になった。

むしろ会話するのは楽しい。

人と会話するのが楽しい、と思えるのはいつぶりなんだろう。小一くらいか。

飲み会に誘われても「なぜわざわざ人がいる場所に行かなきゃいけないのか」と本気でモヤモヤしてたのは

疲れてただけなんだと思う。

 

生き方のコツは、嫌なものを徹底的に避けることだよなと思う。

崖から飛び降りても、意外と上手く着地できることもあるから

今いる場所が無理そうなら、飛び降りるのもアリだ。

 

別に言いたいことがあるわけじゃないけど、

1年半くらいのんびり生きてたら疲れが取れて

なんか「普通に生きれる」って感じになった。

 

朝起きて憂鬱じゃないのはありがたい。

決まった時間に決まった場所に行かなくていいのはありがたい。

明らかに性格が合わない目上の人がいないのはありがたい。

声が嫌いな人と話さなくていいのはありがたい。

行きたい時に温泉に行けるのはありがたい。

もう、平日の昼間にふらふらするのも慣れた。

新卒ほやほやでフリーランス(という名のニート)の時は、

周りのみんなが就職してるのに自分は…って感じだったけど。

 

YouTubeに下手くそなピアノを載せても「素敵ですね」って言われるし

お昼ご飯は好きな時間に食べられるし

明日遊ぼって言われたら遊べるし

自由だな、楽だな、別に急いで死にたくはないなって思う。

 

発達障害だから生きづらいとか、じゃない気がする。

いる場所が合ってないから疲れるだけなんだ。

変な人にたくさん出会おう。

会社員じゃないのになぜか生きてる人は意外とたくさんいる。

無職といえば「住所不定無職=犯罪者」のイメージは思い込みに過ぎなくて、

無職みたいな人とかニートみたいな人とか

フリーランスなんだかフリーターなんだか分からない人とか

そういう人は世の中にたくさんいるみたいだ。

自分もそのうちの一人。

生まれてしまったから、生きやすい場所に移動するだけだ。

動物と同じ。

謎に我慢するのは、脳みそが発達してしまった人間だから。

動物として、生きやすい場所に移動しながら生活すればいいだけなんだ、本当は。

間違って死ななくてよかったね、自分。